Ⅲ 「日米同盟」の呪縛
6 「日米同盟」と「平和の公明党」
では、議会政党はどうか。まず、自民党と連立政権をくみ、「日米同盟」下の安保のグローバル化、そして宇宙の「防衛利用」を推進する公明党を取り上げてみよう。いまでは忘れ去られてしまった観があるが、公明党は、結党(一九六三年)から一九八〇年代の初期まで、二〇年近く反安保・反基地の立場を取っていた。
一九七〇年の安保の自動延長前の公明党の主張は次のようなものだった。
「政府は、日米安保条約による米軍に対する百四十数カ所に及ぶ基地提供は日本の義務であるとして、国民に多大の犠牲をしいてまいりました。[佐藤]総理はこれを所信表明演説にも強調したのであります。この米軍基地は、現実には日本の防衛のためというよりは、むしろアメリカの極東戦略の重要な軍事拠点として米軍の利用に供されているというのが実体というべきであります。
アメリカの日本防衛義務と引きかえに、極東条項に基づく米軍の無限定な行動権をまるのみにした現行条約の構造は、わが国にとってあまりにも高価な代償であるといわねばなりません。しかも日常の基地公害はもとより、その危険はすべて国民が背負っているのであります。最近のベトナム戦争あるいはプエブロ捕獲事件以来の朝鮮半島の緊張によって、国民は実感としてその危険を意識しているのであります。
さらに、安保条約第三条の防衛力増強義務は二兆三千四百億円という膨大な三次防予算となってあらわれており、その結果、日米安保体制のもとにおける権利と義務のバランスは、日本が重大な危険と膨大な軍費を負担するという意味において、わが国にとってはるかにマイナス面が強くなっていることはおおいがたい事実であります。」(一九六八年八月五日、衆議院本会議での正木良明(公明党)の代表質問から抜粋)。
公明党はいったいどうなってしまったのか。
右の正木質問には、かつての「平和の公明党」の安保条約および体制に対する基本認識が凝縮的に表現されている。公明党は創価学会の組織力に依拠しつつ、マルクス主義に立脚した政党とは一線を画しながらも、日本国憲法の「平和主義」と「国民益」を防衛する「革新」政党の立場から、長い間日本の反戦・平和運動の一翼を担ってきた。安保の「段階的解消」、米軍基地撤去、基地反対住民運動への支援という立場は、自動延長後の一九七〇年秋の党大会でも確認されていた。
公明党が安保の自動延長に際し、もっとも強調したのは政府・自民党が「七〇年安保に対する国民の選択権を封じた」ことにあった(一九七〇年六月二二日の「声明」より)。「声明」の中で公明党は、「政府・自民党の姿勢ときびしく対決し、現実的かつ具体的に、安保の実質的な主要要素である在日米軍基地の撤去を促進し」、「国連アジア極東地域本部の日本設置など安保解消の対応条件をあわせて推進し」、「日米安保解消のための戦い」に「全力をあげる決意」を示している。三日後の六月二五日から開かれ、「人間性社会主義」路線に基づく「新生公明党」を打ち出した党大会においても「安保の段階的解消の方途」を七〇年代に模索してゆくことが再確認されている。
このような公明党の主張は、社会党から分裂し一九六〇年に結成されたかつての民社党のそれと共通する点も多い。
民社党の一九七〇年六月二二日の「声明」は延長に「絶対反対」の立場を表明したうえで、「安保条約を根本的に改定し、米軍の常時駐留をとりやめ、基地を原則的に撤廃することを要求する」としている。社・共両党の「安保即時廃棄」は「要共路線」であり反対であるが、同時に「占領政策の遺物を残している現行安保条約の欠陥を、そのまま放置することは許されない」(公明党・民社党の「声明」は一九七〇年六月二二日の朝日新聞夕刊より)。
けれども公明党とは違い、安保体制の下で日本の独自防衛力の整備と憲法九条第二項改定を主張する政治学者をブレーンに持った民社党は「五五年体制」の崩壊とともに解散し、その多くが現在の民主党に合流し、冷戦時代に咲いた歴史の「婀娜花」となってしまった。日本の「民主社会主義」が、なぜ反資本主義より反共・反社会主義へとシフトし、しかも冷戦崩壊と同時に自己解体しなければならなかったのか、それはそれ自体研究に値する素材ではあるが、ここでそれ以上に関心を惹くのは、公明党と民社党、そして旧日本社会党が歩んだ歴史が、安保に対して「現実主義」路線に傾けば傾くほど、党は解党・消滅するか、「日米同盟」と安保堅持を掲げる「体制派」に転じるかの選択を強いられる歴史でもあったということだ。
時代が変われば、人も組織も変わるだろう。諸行無常の響きがある。マスコミにしろ公明党にしろ、まさに「隔世の感、ここに極まれり」というべきかもしれない。米軍基地が「日本の防衛のためというよりは、むしろアメリカの極東戦略の重要な軍事拠点」としてあり、第六条の規定によって安保条約が「極東条項に基づく米軍の無限定な行動権をまるのみにした」「構造」になっていることに何か変化があっただろうか。
あるいは、「第三条の防衛力増強義務」を合わせると「日米安保体制のもとにおける権利と義務のバランス」は日本にとって「はるかにマイナス面が強くなっている」ことに変化が生じ、それによって安保の「バランス」はプラスになったのだろうか。それとも、米軍基地が米国の「極東戦略」ではなくグローバル戦略の「重要な軍事拠点」になったことを「国民」は支持するようになったのだろうか?
時代や人、組織が変わり、安保に対する評価も変わっても、極東条項と米軍の無期限駐留の現実は変わらない。昔の民社党が主張したように、極東条項という「占領政策の遺物」がいまなお安保条約に存在し効力を保っている事実、それが現実に与えている意味や影響を黙過しながら「日米同盟」を礼賛することができるのか。
東京に本拠を置くマスコミや、公明党などの議会政党は、安保が基地の街すべてにもたらしている現実に対し、言論や政治が果たすべき役割をどこまで「深く自覚」してきただろう。