Ⅲ 鎖を解かれた安保体制
――「軍事同盟」への軌跡
3 周辺事態法から武力攻撃事態法へ
周辺事態法(一九九九年)は、一九九六年の「日米安保共同宣言」を受け、翌年に策定された「日米防衛協力のための指針」(新ガイドライン)に沿い、日本の「周辺」で「事態」が起こった際に、自衛隊はもとより日本が国をあげて米軍への後方支援を行うという法律である。後方支援には「物品及び役務の提供、便宜の供与その他の支援措置」および「戦闘行為によって遭難した戦闘参加者の捜索又は救助を行う活動」、さらにこれらを可能にする国内体制の整備が含まれる。
周辺事態法の「周辺」は、「我が国周辺の公海(海洋法に関する国際連合条約に規定する排他的経済水域を含む)及びその上空の範囲」とされ、そこには地理的な制限がない。「周辺」とは朝鮮半島、台湾海峡、フィリピン、ペルシャ湾、あるいはアフリカ東岸など、世界のどこでもかまわない。日本の権益=国益解釈次第で事後的にどうとでも辻褄を合せる余地を残す、とても好都合な表現である。
しかも「事態」は、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等、我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」であり、それが具体的にどのような「事態」をさすのかも明確ではない。「事態」を日本の「平和及び安全」に「そのまま放置すれば」「重要な影響を与える事態」と定義すれば、「事態」=有事が起こる前の「予防」措置として自衛隊が米軍を後方支援することもできる。
「有事」に「予防」概念を導入すれば、およそどのような兆候であれ、何かが起こればそれを「事態」として定義し、日本の主権領域外における自衛隊の地域的な介入が法的に可能になるのである。
さらにこの法律は、自衛隊の米軍への後方支援のみならず、国が「地方公共団体の長」や「国以外の者」にその権限を行使し「協力」を求めることもできるという、有事体制の構築をも定めている(第九条)。日本政府は周辺事態法が「有事」の際に、米軍が日本「防衛」にあたることを法的に担保したものであり、そのことが日本の「国益」にもなると主張した。けれども、どこをさすのかもわからない「周辺」の、何をさすのかもわからない「事態」のために行動する米軍を、なぜ自衛隊と日本が国をあげて「後方支援」しなければならないのか。
周辺事態法は個別法でありながら、「周辺」や「事態」をはじめ使われている用語の概念定義が不明瞭なため、条文を読むだけではなぜこの法律が必要なのかも理解できず、実際にどのように法律が運用されるのかもイメージできない、欠陥ばかりが目につく法律である。
ときの小渕政権は周辺事態法を「憲法九条に抵触しない」と解釈し、制定した。そこで使われたトリックは「防衛」概念の拡張である。日本の領域外の国や地域で日本の「平和及び安全」と脅かす「事態」が起こることを仮想し、それに対する日米共同の「対処」を日本の「防衛」体制を整備するという論理を打ち出したわけである。これにより「防衛」という大義名分さえあれば、「極東」に限定されない地域においても米軍と自衛隊の共同作戦が可能になる。
日本は周辺事態法の制定を通じ、安保条約を改定せぬまま、自ら国内法の制定によって条約の実質改定に踏み切ったのである。周辺事態法はこのように、明文改憲をしなくとも有事法制を制定できる前例をつくると同時に、有事体制の構築を安保体制の再編と一体化させる道筋をつけた、という二重の意味において画期的な意味をもつ法律だったのである。
周辺事態法を受け、二〇〇三年には武力攻撃事態対処法が、続く二〇〇四年にはこの対処法に基づく米軍支援法(「武力攻撃事態等におけるアメリカ合衆国の軍隊の行動に伴い我が国が実施する措置に関する法律」)が制定される。そしてこれら二法を含む、「有事関連三法」と「有事関連七法」により有事体制の法体系が完成する。
⇒内閣官房の「国民保護ポータルサイトwww.kokuminhogo.go.jpへ。
有事法制の根幹をなす武力攻撃事態対処法は、「外部」から日本への武力攻撃を
①着上陸侵略、
②弾道ミサイル攻撃、
③ゲリラ・特殊部隊による攻撃、
④航空攻撃の四類型に分けている。
これに対し、反対勢力は、有事法制が基本的人権や市民的権利などの制限・抑圧を含め、戦時体制への「国民総動員」を意図しており、「米国の戦争への協力法」だと主張した。たしかに、有事法制の柱の一つである「国民保護法」は多くの論者が指摘したように、国家への非協力者に対する罰則規定を設けていることや、有事法制全般がポスト九・一一における「対テロ特置法」や「イラク特置法」の制定と並んで米国の対テロ戦争への日本の協力体制を強化するものであったことも見逃せない。
しかし「永遠の安保」のテーマに照らしていえば、これら以上に重要なのは、武力攻撃事態対処法が「有事」に際し、日本が米国と「緊密な協力」(第三条6項)の下に、自衛隊が米軍とともに「日米安保条約定に従って」「必要な行動」を「円滑かつ効果的」にとる(第二条7項)と規定していることである。つまり、周辺事態法が安保条約の極東条項を無視し、条約の実質改定に法的な根拠を与えたように、武力攻撃事態対処法も安保条約の条約終了条項を無視し、条約の恒久化に法的根拠を与えている。これら二つの法律を通じて小泉政権は、安保条約の恒久化と在日米軍の永久駐留をも法制化したのである。
有事法制はこのように、未来のいつ発生するか、いやそもそも起こるかどうかもわからない「外部からの武力攻撃」が実際に起こる時まで在日米軍の駐留を日本の側から保障する法的基礎をなしている。けれども有事法制をめぐる議論において、このことはほとんど焦点にはならなかった。湾岸戦争時と同様に、日本の主権者は有事法制をめぐる議論においても護憲/改憲論議を安保存続の是非を問う論議へと発展させうる貴重なチャンスを逃してしまったのである。
4 有事法制と安保 (以下、未完成)
米軍支援法は「周辺事態」を「武力攻撃事態」と言い換えはしているものの、その骨格は周辺事態法をほぼそのまま踏襲している法律である。
現安保条約に基づく安保体制が二〇世紀の安保体制であるとするなら、米軍支援法を含む有事法制に基づくそれは二一世紀の新安保体制である。
ここで重要なことは、周辺事態法制定に続くテロ特措法(二○〇一年)とイラク特措法(二〇〇三年)の二つの時限立法、また「有事関連三法」やこれとは別の「有事法制関連七法」と呼ばれるもののすべてを小泉政権が「憲法九条に抵触しない」という解釈に基づき法案化し、国会を通過させ、制定してしまったことである。裏返していえば、PKO法を含め、湾岸戦争以降自衛隊の海外派兵に関連し制定・改定されたあらゆる法律や米国との協定は、そのすべてが九条の死文化の上に成立した憲法違反の法律であり、これら個々の法律の「運用」による自衛隊の海外活動のいっさいも憲法違反であるという解釈も同時に成立するのである。
ただ、冒頭に引用した「再編と変革」の実施、つまりはポスト九・一一のグローバル対テロ戦争の時代において、米軍の後方支援という「消極的」な役割から、自衛隊が日米安保軍としての国際戦略の一翼を担い、より「積極的」に海外展開するためには、もう一歩踏み込んだ安保体制の位置付け(安保の再・再定義)が必要である。それなくして安保は実効性ある双務的な体制へと再編し、変革することはできない。この要請に応えるべく二〇〇四年の年末に策定されたのが「防衛計画の大綱」である。
これら一つ一つの法律およびその「運用」に対し、違憲訴訟を起こすこともできるだろう。ぼく個人は憲法九条を破壊する違憲行為の既成事実の積み重ねを指弾し、九条の平和原理の再生をめざすあらゆる市民のイニシアティブを支持する者であるし、そうした活動の意義は決して軽んじられてはならないと考えている。
しかしそれと同時に、これらの法律や協定のすべてが、冒頭に引用した「再編と変革」の実施、つまりは実態的な「日米軍事同盟」を法的に根拠付けるものとして機能し、グローバル安保の「効果的な運用」をはかるために制定されたことを見すえるならば、現実的には安保の終了抜きに憲法の「平和原理」を再生することはできないと考えている。安保に対する立場如何を問わず、ほとんどの憲法学者や法の専門家も安保が存続する限り、憲法九条を「活かす」ことは原理上不可能であることを知りぬいていると思うのである。
5 安保と共存する平和構築
――テロルな平和へのプロローグ